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フロレンス・ナイチンゲールの生涯
【 上 巻 】
第1章 生い立ち (1820年〜1837年)
1820年5月、フィレンツェ/父と母/リハースト荘とエムブリイ荘/
少女の時代/姉と妹/平穏と激情/初めての「お召し」
第2章 ヨーロッパへの旅 (1837年〜1839年)
六頭立ての旅行馬車で/イタリア開放運動の渦の中で/
ジュネーヴ、亡命者の街/パリ、メアリー・クラーク(クラーキー)との出逢い/
パリの社交界で
第3章 苦悩の始まり (1839年〜1845年)
ロンドンの社交界へ/メイ叔母に支えられて/数学とギリシャ語/
リチャード・モンクトン・ミルンズとの出逢い/
飢えた40年代 ―農民小屋の病人たちの世話/「夢想」との葛藤/
看護の発見―病院への指向/愛の破局 ―マリアンヌとの訣別/
祖母と乳母を看護して/看護婦としての訓練を受けたい
第4章 葛藤と苦悶の日々 (1845年〜1850年)
家族との葛藤の始まり ―自責と忍耐の日々/夜明け前の学習/
ブレースブリッジ夫妻との出逢い/ローマへの旅/
シドニー・ハーバートとの出逢い/サンタ・コロンバ尼院長の導き/
リチャード・モンクトン・ミルンズの求婚を断わる/エジプトへの旅/
カイゼルスヴェルト学園を訪ねる
第5章 独立への決意 (1850年〜1853年)
家庭への拘束/再びカイゼルスヴェルト学園へ/小説「カサンドラ」/
謀反の決意/母と姉の干渉/職探し ―ハーレイ街の病院/父の援助/
神の摂理の家に入る/ハーレイ街病院に着任する
第6章 小さな病院の看護監督 (1853年〜1854年)
ハーレイ街病院の再建に手腕を発揮/看護改革のための情報収集
第7章 クリミアへの出発 (1854年)
クリミアの悲報 ―タイムズ紙の特派員報告/F・N立ち上がる/
準備の四日間/出発/スクタリに着く
第8章 スクタリ兵舎病院の惨状 (1854年)
スクタリの混乱と惨状/兵舎病院に到着/医師たちの無視と冷遇/
信頼を得るための待機
第9章 英国陸軍の破局を救う (1854年〜1855年)
破局の幕開き/ナイチンゲール看護団、立ち上がる/
第二次看護団の派遣と混乱/宗派間の紛争/ヴィクトリア女王の支援/
長く恐ろしい破局の冬/陸軍衛生調査委員会の派遣/非常事態の終焉
第10章 陰謀と妨害に耐えて (1855年)
不眠不休の働き/陰謀と妨害に抗して/調理場の改善/
クリミア野戦病院の惨状/第一回クリミア半島訪問/クリミア熱で倒れる/
ソルスベリー嬢事件/第二回クリミア半島訪問
第11章 兵士と民衆の愛慕 (1855年〜1856年)
英国民の支持の声、高まる/ナイチンゲール基金の創設/
兵士のための福祉改善/欺瞞と誹謗に耐えて/F・Nの地位と権限、
確立さる/第三回クリミア半島訪問/クリミア戦争の終結
第12章 陸軍の衛生改革への決意 (1856年〜1857年)
迷いと決意/ヴィクトリア女王の励まし/陸相パンミュア卿との会見/
陸軍勅選衛生委員会設置の構想/役人たちの遅延工作/
ネトレー病院の設計についての論争/陸軍勅選衛生委員会の発足
第13章 病弱の身に鞭打って (1857年〜1858年)
母と姉の妨害/超人的な仕事ぶり ―小陸軍省/
「英国陸軍の保健・覚え書」/委員会報告の執筆/虚脱発作で倒れる
・英国およびヨーロッパ概念地図
・クリミア半島付近概念地図
・フロレンス・ナイチンゲール関係年表
【 下 巻 】
第14章 官僚機構への挑戦 (1857年〜1859年)
仕事の鬼/官僚機構への挑戦/ベンガル暴動とインド駐在陸軍への関心/
シドニー・ハーバートの衰弱/
インド駐在陸軍のための勅選衛生委員会の発足/
狂った歯車 ―陸軍の行政機構/再び虚脱発作で倒れる
第15章 陸軍の看護から民間の看護へ (1859年〜1860年)
民間病院の実情/「病院覚え書」/病院統計の標準化/
聖トマス病院への支援/「看護覚え書」/ナイチンゲール看護学校の設立/
助産婦学校の設立/神学的形而上学的思索 ―「思索への示唆」/
ジョウェットとの出逢い
第16章 孤独と絶望 (1860年〜1861年)
シドニー・ハーバートの病状悪化/メイ叔母去る/
ヒラリー・ボナム・カーター去る/アーサー・ヒュー・クラフ海外保養に去る/
シドニー・ハーバートの死/シドニー・ハーバートの業績/
バーリントン街を去る
第17章 復帰の要請 (1861年〜1862年)
ハンプステッド街に引き籠る/公務に呼び戻される/南北戦争の勃発/
アーサー・ヒュー・クラフの死/女性に対する失望/
陸軍医務局の再建と改革に取組む/伝染病予防条令の論争/
敗北感に拉がれる
第18章 インドの衛生改革に立ち上がる (1862年〜1864年)
資料の収集/「インド駐在陸軍の衛生・ナイチンゲール私見」/
インドの国民の衛生/
報告書の執筆と公刊/インド行政機構の確立のために闘う/
強力な味方 ―インド総督ジョン・ローレンス卿/インド省と陸軍省の対立
第19章 長く苦しい闘い (1864年〜1867年)
悔恨と絶望/ジョウェットの友情に支えられて/サウス街10番地へ/
ヒラリー・ボナム・カーターの死/ささやかな慰め ―読書と猫たち/
サザランド博士への不満/インド問題、一時の希望、そして挫折/
9年ぶりの里帰り ―盲目の母を見舞う/インド問題の進展
第20章 地域看護と貧民の看護 (1862年〜1868年)
地域看護への関心/救貧院の看護改革に着手する/
アグネス・ジョーンズ、リヴァプール救貧院へ/救貧法改正のための闘い/
産院の調査と助産婦の訓練 ―「産院覚え書」/アグネス・ジョーンズの死/
看護婦の人材確保に悩む/女権拡張運動への批判
第21章 抗争から宥和へ (1868年〜1872年)
インドへの情熱と功績/失敗と挫折/流れに逆らわず/
独仏戦争 ―赤十字活動への協力/衰えを悟る
第22章 看護学校の再建と母の看病 (1872年〜1880年)
公職からの引退を決意する/父母のために家に帰る/
ナイチンゲール学校の再建/神学上の著作/神秘思想家としてのF・N/
父ウィリアムの急逝と母の看病/若い教え子たちとの交流/
インドの飢饉と灌漑構想/母ファニイの死
第23章 和解、そして希望 (1880年〜1894年)
和解と宥和/インドの農地改革/ゴードン将軍との交友/
陸軍の保健の相談役として/遅生りの実 ―インド問題の成果/
地域看護への支援/看護婦登録制度の論争
第24章 晩年 (1894年〜1910年)
穏やかな晩年の日々/姉パースの死とヴァーネイ家との交流/
家庭の母親に看護を ―婦人保健普及員/逝く人びと/伝説はふくらむ/
最後の燦き/終焉
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